盤亀台岩刻画(国宝第285号)
盤亀台岩刻画は、韓半島の先史時代の狩猟・漁労生活の様子が描かれている遺跡で、約7,000~3,500年前の新石器時代に制作されたものと推定される。盤亀台の岩面に鯨や亀、オットセイ、虎、猪、鹿など20数種類の陸海動物と船や銛などの狩猟・漁労道具、そして人物像を含め約300点の絵が確認され、現在、人類初の捕鯨遺跡として評価され、ユネスコ世界文化遺産暫定リストに登録されている。
蔚州川前里刻石(国宝第147号)/川前里恐竜の足跡化石
1970年に川前里で発見された新石器時代の遺跡。岩刻画が刻まれた岩は幅約9.5m、高さ約2.7mの長方形で、上の方が若干手前に傾いている。川前里刻石には先史時代の岩刻画だけでなく、新羅時代の行列の様子や帆掛け船、馬や龍の絵などの細線画と銘文なども加刻されている。恐竜の足跡化石は約1億年前の前期白亜紀時代に生きていた中大型恐竜のもので、貴重な自然史の資料だ。特に、竜脚類と鳥脚類など200数個の恐竜の足跡がある。
恐竜の足跡公園
中区裕谷洞には約1億年前の前期白亜紀時代に生きていたマニラプトル類の足跡3つと、草食恐竜の固城竜の足跡77個など約80の恐竜の足跡の化石がある。保存状態が良好で自然史研究の貴重な資料となっている。
蔚山博物館
2011年に開館した蔚山博物館は常設展示館と特別展示館からなり、常設展示館は先史時代から1962年に蔚山工業地区が形成される前までの蔚山の歴史と文化をテーマ別に観覧できる。また、子供博物館では、事前に予約すると「大王岩で出会った東海の龍と巡る歴史探検」を展示テーマとした様々な体験活動ができる。
ウェソル記念館
ウェソル 崔鉉培(チェ・ヒョンベ)は、日本植民地時代にハングルを普及させるために生涯を捧げた独立運動家でありハングル学者だ。ウェソル記念館では、崔鉉培先生の遺品や主な著書、ハングルの変遷過程、復元された崔鉉培先生の生家跡が観覧できる。
朴尚鎮義士生家(文化財資料第5号)
朴尚鎮(1884~1921)義士は、大韓光復会の総司令として活動した独立運動家であり、1915年に朝鮮国権回復団と大韓光復会の結成に尽力した。朴尚鎮生家は朝鮮時代後期の両班の家で、2007年に復元整備された。
蔚山岩刻画博物館
韓国唯一の岩刻画展示館。大谷里盤亀台岩刻画と川前里刻石の実物模型を見ることができ、先史時代の文化が体験できる。
蔚州澗月寺址石造如来坐像(宝物第370号)
蔚山地域で宝物に指定された唯一の仏像。土台の台座の一部と光背は失われているが、全体の形はしっかり残っている方だ。肩幅は若干狭く体は豊満だが、量感の足りない統一新羅末期の仏像彫刻様式の特徴がよく表れている。
石南寺
新羅憲徳王16年(824)、この国に初めて禅宗を取り入れた道義国師が新羅の護国念願を祈願するために創建した寺院。現在は尼僧のための修道場や大雄殿、極楽殿など30余りの建物から成る石南寺は、真冬に寺院が雪で真っ白に覆われると、加智山と相まって幻想的な姿になる景色で有名だ。
石南寺三層石塔 (有形文化財第5号)
石南寺三層石塔は2階でできた基壇の上に建てられた三層石塔だ。高さ2.5mと規模は小さいが、統一新羅時代の一般的な様式で造られている。
蔚州石南寺僧塔(宝物第369号)
僧塔とは、有名な僧侶の遺骨を祀るために建てられた石塔のことだ。この僧塔は高さ3.53mに及ぶ八角円堂形で、統一新羅末期の僧塔の様式をよく表しているすばらしい作品。
蔚州望海寺址僧塔(宝物第173号)
『三国遺事』の記録によれば、望海寺は新羅憲康王の時代に東海龍王のために建てられた寺院だ。この僧塔は統一新羅時代の八角円堂の基本形を継承している。
蔚州青松寺址三層石塔(宝物第382号)
統一新羅時代に青松寺の跡に建てられた三層石塔。1962年に復元した時、上層の基壇から青銅舎利箱が発見された。その中には青銅如来立像1点をはじめ、ガラスや水晶、玉など30数点の遺物が入っていた。統一新羅時代の地方の石塔様式を表した重要な遺跡だ。
蔚山太和寺址十二支像舎利塔(宝物第441号)
この舎利塔は韓国最古の石鐘形の舎利塔で、表面に十二支像が彫刻されているのが特徴だ。
於勿洞(オムルドン)磨崖如来坐像(有形文化財第6号)
於勿洞磨崖如来坐像は「、パン岩」と呼ばれる巨大な自然の岩壁面に浮き彫りされた仏像である。日光菩薩と月光菩薩が左右に控える薬師如来三尊像となっており、制作時期は統一新羅時代と推定されている。
蔚州彦陽邑城(史跡第153号)
彦陽邑城は1390年(恭譲王2)に初めて土城として築造され、1500年(燕山君6)に県監の李�龍が石城として築き直しながら拡張されたもの。この邑城は15世紀末朝鮮時代の平地邑城の典型で、構造と築造方法は当時の平地邑城の研究に重要な資料となっている。
蔚山慶尚左道兵営城(史跡第320号)
蔚山慶尚左道兵営城は、朝鮮時代に倭寇の侵入を防ぐため兵士を指揮した兵馬節度使が滞在していた城だ。文献の記録によれば、四方の4つの城門にはすべて3間の門楼と甕城、そして城壁の外に築かれた石塁の張り出し、防御施設の一種である堀が設けられた。
蔚山倭城(文化財資料第7号)
朝鮮時代宣祖30年(1597)の慶長の役の際、太和江下流の小さな丘陵である鶴城山に浅野幸長が築城し、加藤清正が駐屯した場所。蔚山邑城と兵営城の城石を崩して倭城を築いたと記録されている。大きな石を割って土台を固め、城石の間に小石を詰める方法で築造された。
西生浦倭城(文化財資料第8号)
朝鮮時代宣祖26年(1593)の文禄の役の際に倭軍が築いた日本式石城で、階段式に積み上げられている。山の頂上部から下に城壁を二重に囲み、城壁は傾斜が大きい特徴があり、16世紀末の日本の城郭研究にも貴重な資料となっている。
蔚山郷校 (有形文化財第7号)
蔚山郷校が建てられた年代や初期の沿革に関する記録は正確にはわからないが、15世紀ごろ建てられたものと推定される。創設当時は神鶴城北側の現伴鴎洞旧校の村に建てられたが、文禄の役で焼失した後そこに再び建てられ、1652年(孝宗3)に今の場所に移された。
朴堤上遺跡(記念物第1号)
朴堤上は新羅時代訥祗王(在位417~458)のころ活躍した忠臣である。朝鮮時代英祖21年(1745)に朴堤上とその夫人である金校夫人と二人の娘の忠魂を称えるために建てられた鵄山書院が有名だ。鵄山書院の左側には忠烈公朴堤上記念館がある。鵄述嶺に登ると(2時間所要)、夫を待って石になったという朴堤上の夫人の伝説が伝わる望夫石と、その魂が鳥になって隠れたという隠乙岩などを見ることができる。
朱田烽燧台(記念物第3号)
烽燧台は四方がよく見渡せる山の峰にあり、夜は松明で、昼は煙で近くの烽燧台と連絡を取り合い、辺境の緊急事態を中央と該当陣営に知らせた昔の軍事通信手段の一つで、川内から烽燧を受け取って柳浦に伝えた。
蔚山彦陽カトリック教会と司祭館(登録文化財第103号)
1936年に建てられた彦陽カトリック教会は、蔚山地域初のカトリック教会だ。 本堂は切り妻屋根のゴシック式石造2階建てで、蔚山地域最古の石造建築物だ。建設当時の原形がよく保たれ、宗教的・歴史的にも大きな意味を持っている。 司祭館は司祭が暮らす場所で、今は信仰遺物の展示館として使用されている。
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